映画
仕事を辞める前、仕事を辞めたら速攻で本を読み漁ろうと決意した。
というか、何か知見を増やしておくべきだろうと思った。
「今までできなかったことをすべて網羅してやるぞ」という強い気持ちがあった。
無職のうちに映画でも本でもとりあえず見ておこうと思っていた。
だからニート入り口の時は映画なりなんなりを視聴しまくっていた。
なんとなく知見も広がるし、良いかも、と思っていたのだが、
やはり「娯楽」を楽しんでいるという罪悪感から最近見るのを辞めていた。
突然だが、物語と言えば、古代ギリシャにおいて、
ギリシャ悲劇は人間の行為と生のミメーシス(模写)であり、
人間は悲劇を鑑賞することで”生きること”に対する新しい学びを得る、
すなわち生きる意味の学習につながる的なことをアリストテレスが言っていたようだ。
ということは即ち、
『映画を見ること=人間社会を知ること=社会に適合する為の正しい学習手段』
という方式になるはずである。つまり映画はただの娯楽ではない。
人間社会を知るための重要なコンテンツなのである。
まるで異星人の様な事を言っているが、
まるで異星人のように生活しているので仕方がない。
実際、人間社会というのは模倣の繰り返しだと思っている。
”普通であること”が求められる社会において”普通”であるためには
やはり”普通”である基準が必要である。”普通の基準”だ。
かの山本五十六も「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば人は動かじ」と言っている。つまり最初に必要なのは模範なのだ。
ということでニートの最中に社会復帰のため、映画を見ることは娯楽ではなく
立派な学習、就職活動という事になる。明日は何か見ようかな。