当方、社会不適合につき

アスペ系社会不適合者奮闘記 25歳現在

社会への不安

正直今の環境はあまりよろしくない。いやもちろんニートであることもあるのだけれど、生活環境としても決して良いとは言えない状況だ。

 

今はまず何よりも独り立ちをしたいなという気持ちがある。お国の世話になって補助金や年金の猶予をしてもらっているのだが、申し訳ない気持ちが強くなって気が滅入る。せめて一人暮らしをしたい。後輩たちも次々と社会に適合していく。自分だけ何故…という気持ちがある。

 

もちろん友人たちの中には実家暮らしもいるが、彼らは親との折り合いが良い。自分のところは昔から過干渉で無関心。今も会話は無い。何を思っているのかお互いわからんん。昔から何を話ても厄介払いのような態度をとられてきた。そうした環境下にありながら、未だに両親に寄生している。そして両親の教育が悪かったのだ、どうして両親は気づかなかったのだと責めるような感情にばかりに呑み込まれていく。

 

特にひと月前まではそうだった。だが思ったことがある。確かに昔は両親の教育も悪かったかもしれない。が、私自身がその環境を変えようとしていない現在、それは私自身の問題になる。いつまでも子供ではいられない。いやもちろん、今更どうしようもないこともある。例えば将来の夢についてもどうして自分は臨んだ道に進ませてもらえなかったのかと未だに根に持ってしまっている。だが、そうじゃない。何故今まで気づけなかった、気づかなかったことにかなり不安や焦りを感じている。

 

実際、親からの支配が強く「自分は一人暮らしもできないし、車も持つことを許されない。何かを購入する時ですら相談さえされないし、基本的に親に従わざるを得ない状況」が多かった。これは認知の歪みだった。探してみれば自分でもぎりぎり生活できるような安いアパートはあるし、物にさえこだわらなければ中古で家具だってそろえることができる。何もすべて親の思う様にならないといけないとは限らない。そのことに今更、ようやく実感を持つことができた。

 

※これは私がニートになったため親の態度が変化した影響もあるかもしれない

 

昔から物に対する執着があった。一度買ったもの、手に入れたものは捨てることができなかった。以前も書いたかと思う。だが、最近一人暮らしを現実的に考えたとき、この宝の山のうち本当に自分に必要なものはそんなにないということに気付いた。誰か友人に貸そうと思って漫画も貯めていたが、漫画より実用書のほうがおもしろい。その上漫画も無料で読める時代になった。

 

本を集めることにばかり夢中になって、その中身に目を向けていなかった。持っているからといって、その中身に目を向けていなければ無意味だ。わかっている風でわかっていなかった。何故そんなこともわからなかったのか、そしてなぜ突然わかるようになったのかは全く分からない。

 

だが突然そういった啓示が降ってきた。もしかしたら「こうしなければならない」「こうするべきだ」といったストレスから解放されたことも影響しているのかもしれない。もしくは本当の意味で何もしなくていい日々を迎えることができたからかもしれない。今までは常に「やらなければならないこと」が背中の後ろにあって、そのことばかり考えていた。自分のことを考える暇がなかったのだ。

 

もちろんニート期間にたくさんの作品に触れたことも影響しているのかもしれない。狭い世界で生きていたのだと思う。

 

といいつつも、いまだに社会に出る不安はある。大衆の笑い声は未だに怖いし、どこに行っても馬鹿にされるような気持ちは普通にある。ついこの間までただテレビを見ていただけなのに、お笑い芸人に馬鹿にされているような気持ちになったこともあった。有名人や、素晴らしい人間を見ても「こいつは実際に会ったら馬鹿にしてきそうだな」と感じてしまい、無駄に不安になってしまうこともある。

 

経験上、第一印象が良くてもその後がうまくいかないことが多い。そもそも第一印象が悪いことも多い。実際、不細工・アスペ・根暗の三すくみだ。ぼんやりした表情、締まりのない顔、伸びっぱなしの髪や髭、清潔感のない雰囲気がどうしても漂うらしい。

 

とりあえずまずは見た目も大事だと思い、筋トレを始めて見た。ハローワークにも通っている。進めることは、進めている。それから、これからのことをじっくり考えていこうと思う。