当方、社会不適合につき

アスペ系社会不適合者奮闘記 25歳現在

平沢進のゲンロンカフェ

突然だが私は平沢進のファンであります。

今日はニコニコ生放送のゲンロンカフェという番組に

平沢進が出演しており、それを見た。

対談相手は斎藤環氏。筑波大学で教授もやってらっしゃる精神科医の先生。

2時間半?位のトークショーだったが、

おおまかな内容は

 ・Twitterのフォロワー増え過ぎ問題(導入)

 ・P-MODELのキャラクター、その背景

 ・平沢進は何故平沢進になったのか(学生編)

 ・夢解釈、ユングフロイトと音楽への影響

 ・Twitter宮沢賢治、アナログとデジタルの融合、平沢音楽の原点にある心理

 ・なぜ平沢進平沢進で在り続けられるのか(まとめ)

こんな感じでした。ハッキリ言ってめちゃめちゃ面白かった。

 

 

とにかく変わり者のこのおっさん、幼少期、とくに小中学生時代のことなんかは語られることがあまりなかったような気がするので見ることができてよかった。いや、会報のバックナンバーなんかでもしかしたら断片的に語られていたのかもしれないが、触れる機会が無かったので今回聞くことができてよかった。

 

平沢進に触れてから見聞がどんどんと広がっていく。エントロピー、ネゲントロピー、テスラコイルなど物理学、アンダマン、ホピ族など文化人類学フロイトユング、ペーターソン…心理学用語にも詳しくなりそうだ。決して満たされることのない好奇心や衝動に混乱する日々だが、この男について行けば満たされるのではないだろうかという期待が常にある。

 

今回の対談で平沢進自身が言っていたが、本人が好奇心の塊で、常に新しいコンテンツに興味を持ち続け、それでいてあっさりと過去の慣習を捨てることが出来るそうだ。

 

大概の場合、アーティストは一度作られたアーティストイメージ、とくに音楽的特徴は大事にするものだと思う。パンクロッカーはパンクロックをやり続けるし、ロックンローラーはロックをやり続ける。愛と平和について、政治的主張について、一つの事をやり続けることはやはり美しいものに見えるのだろう。

 

もちろん平沢進もアーティストイメージをしっかり持っている。

のだが、その軸が音楽性というよりも、精神性やメッセージ、世界観、もしくは”平沢進”自身に寄っており、音楽自体は大幅に変化していく。

 

多くのアーティストは自分の持っているサウンドや曲のメッセージ性、特に観客を大切にする。外的評価を気にしている(申し訳ないがそう見える)。例え作風が途中で変わっても、過去の作品は過去のスタイルで演奏する。過去の物は当時の形で再生する。ファンもそれを期待している。

 

しかし平沢進は違う。彼は飽きたら捨ててしまう。過去の楽曲も現在の自分が納得する様に作り変えるため、当時とはまるで違うサウンドで再生産される(これは特に他のミュージシャンではあまり見られない特徴だと思う。)しかしながら大筋は変化していない。軸であるべきところはきちんと軸として存在している。故に昔からのファンも常に新しいものに触れることが出来る。リミックスやリアレンジについても同様で、平沢の場合はバンドサウンド管弦楽にしてしまう。しかも自らの手で。そしてファンもそれを期待している。飽き性にはぴったりのコンテンツなのだ。

 

 

 

ダラダラ書くのも疲れる。

まあ、とにかく新しい事をやり続ける男と言うのはかっこいい。

そして新しいものや、時としてそれに触れたときの逆境、いやその他逆境全般が面白く感じるのだという。これは本当にすごいことだと思う。

 

俺も早く...そう思いながら求人を眺める日々なのだった。