当方、社会不適合につき

アスペ系社会不適合者奮闘記 25歳現在

ハローワーク!

ハローワークに通っている。仕事を探している。

 

ただピンとくるものがない。

自分でもできるかどうかわからない、どうすればいいかわからない。

ただ只管に、「無謀だ」という気持ちが湧き上がってくる。

 

多くの人は「自分ってこういう人間だから」というぶれない軸の様なものを

持ち合わせている様だ。少なくとも自分の周りはそうらしい。

 

求人を眺める。

 

「興味なくはないけど、強い興味があるわけではない」

「やりたくないわけじゃないけど、やりたいわけでもない」

「できなくもないけど、できないかもしれない」

 

作業にしても具体的な想像ができない。働くとは何なのだ?

とにもかくにも、経験が不足していることを強く実感している。

当たり前だが、知識よりも多くの経験がモノをいう事を前職で知った。

百聞は一見に如かずである。

 

ハローワークの就職カウンセラーからは、

「教員免許、持っているならなんでもできるよ」と言われたが、

教育実習は、ただ”こなした”だけである。流れゆき日々を流れるままに

見つめていたら時が過ぎて実習が終わった。それだけだ。

いつもそうだ。眺めていたら時が過ぎて終わる。常に傍観者だ。

 

求人を眺める。

 

それでも、なんとなく良さそうだった求人に応募することにした。

専門施設の案内担当だった。流れていく人波を眺めているだけで良さそうだ。

 

施設の外に出ると、怪しげな60代前後の男性に声をかけられた。

自衛隊への勧誘だった。自衛隊に関しては諸事情でかなり知識があるので

そこそこに盛り上がった。そして将来設計の話になった。

 

将来の夢はあるかどうか

 

驚くほどに将来に対するビジョンがないことに気付いた。

こうなりたい、ああなりたい…それがない。結婚も子供も興味がない。

何が好きか、何が嫌いか、はっきりしたものも特にない。

好きであっても、絶対に好きという事もない。

 

必死になって失敗して馬鹿にされ、行き場を失うことを恐れている。

失敗すると、自分自身を馬鹿にし、

ここにいない存在だと思うことで精神の安定を図っている。

 

必死になろうとして出来ない、という経験は多い。諦めたことも多い。

いや、表面上は諦めているが、あとでだらだらとそのことについて愚痴を垂れてきた。

 

そんなだからいつまでたっても成長できず、周囲に馬鹿にされ続けてきた。 

そして、精神の安定を図るために以下のように思考する。

俺は馬鹿だから、そう言われても仕方ないのだ、俺も俺の事を馬鹿だと思う。ただ、それを言う者もまた、馬鹿だ。相手を馬鹿だと認識しているなら、”馬鹿である概念”がはっきりしているはずであり、そして相手は『馬鹿ではない』即ち”有能”であるはずである。”有能”であるなら”馬鹿”と”能力者”の違いというものをハッキリ区別しているはずだ。『お前のやり方では間違っている。俺がお前であったならばこうする。』『お前がこうしていることは、間違いなのだ』という行動指針があるだろう。少なくとも”馬鹿”であるポイントは指摘できるはずだ。指摘さえあれば討論の余地がある。『何故こういう行動をとったのか』。心理がわかれば行動への転換もしやすい。それをただ単純に”馬鹿”と揶揄して終了するのは非生産的でひどく独善的であり、自己愛に満ち溢れた行為だ。ひどく短絡的で軽率な思考ですらある。本当に有能で、行動の効率化を図るのであれば、馬鹿相手にもわかる様に説明するべきであるし、人間は組織の中で互助していくべきである。『互助していくべきではない』というのであれば、話は別であるが。こちらはそちらの言い分(他人を馬鹿にすること)を受け入れているのにもかかわらず、なぜそちらはこちらを受け入れようとしないのか。そして何より何故、その行為の効率の悪さに気が付かないのか。それこそ”馬鹿”である。

 という風である。こういう思考の発生も無駄なのかもしれないが…

 

 

25歳にして実家暮らしという現実、その現実を打破したいと常に願っていた。

だがしかし気が付くと時が流れ、精神も浮遊し、己を見失い、時計だけが進んでいく。

突然変化が訪れることを極端に恐れるようになった。変わっていくのは怖い。

自分が自分でなくなっていくのが、怖かった。

そのうちに周囲の成長に置いて行かれ、何もすることができず、

いつまでも地を這いずり回っている。

 

今まで頑張ってこれなかった人間が急に頑張れるなんて現実はあるのだろうか

「やればできる人」と何回言われただろうか。

 

仮にもし。仮にもし本体やパーツがしっかりしていたとしよう。

たが、本体の回路が壊れていれば、またはきちんと配線されていなければ

使うことができない。物の多くはそうだろう。

外装がしっかりしていても中身が伴わなければ廃棄される運命にある。

使えるようにするには外部からの適切な治療や調整が必要になる。

 

どうすれば修正できるだろう。どうすれば調整できるのだろう。

何をどうすればこれから頑張れるのだろうか。目標もないのに。