当方、社会不適合につき

アスペ系社会不適合者奮闘記 25歳現在

仕事

仕事を毎日頑張っている。我武者羅に頑張っている。

 

仕事場では昼休憩スペースにテレビが設置されており、基本的にNHKがチョイスされている。受信料とか文句言われてるけど俺はNHKが好きだ。

 

飯を食い終わってまったりしてると「サラメシ」という番組が始まった。

会社で働くサラリーマンたちがお昼に何を食べているのか調査する番組だ。

 

弁当作りに奮闘する18歳の若者が紹介された後、車工場で働く社員たちの弁当調査が始まった。

その工場は所謂大手のライン工場という雰囲気ではなく、一つ一つの作業が手作業で行われているとのことだ。

 

社員のみなが生き生きとした表情で作業に取り組んでいた。

弁当自体については俺も弁当作ろう程度の気持ちしかわかなかった。

ただ、工場で働く人たちの目がみな活き活きしていて、うらやましかった。

俺も町工場で働きたかったな、と思った。今の仕事も面白い部分はあるんだけど。

 

そのまま昼ドラが始まった。広瀬すずがみんなに愛されてのし上がっていく話だった。

俺も昔は美術のセンスや才能があると言われ続けてきた。

”ちゃんとした先生の元につけば絶対にうまくなるタイプ”とずっと言われていた。

いや、ちゃんとした先生の元につけばそりゃ誰でもうまくなるだろって思うけど

そういうことを言われ続けていた。嘘かもしれんけど、とにかく言われまくっていた。

 

才能だって花開かなければ意味がない。どんなに大きいつぼみでも咲かなければ、

小さい花の美しさには負けるのだ。俺は何をやりたかったんだろう。

今日もむなしくなってしまった。文章もうまく書けなくなってきた。

 

金を稼ごう。

草も生えない

今日の午後は諸事情で雑用を担当した。

新人一人で鎌を持ち、齷齪と草を刈ること1時間。

ある程度めぼしい草は刈れたんじゃなかろうか、俺は疲れ果ててしまった。

 

就業時間が近づくとみな会社に帰ってくる。

偉い人間がみな出払っていたので、職場は歓談で盛り上がっていた。

 

ふいに振られた会話に突然返すということが俺はできない。

集団で会話している中に首を突っ込むなどもってのほかである。

俺は周りの人間が歓談に湧く中、一人で黙々と事務処理をした。

 

会話に混ざるべきかどうか、考えた。だが出来ない。

突然話し出して白い目で見られる恐怖が心の底に染みついているからだ。

 

染みついた孤独癖は環境が変わった程度で簡単に拭えるものではない。

俺は1対1の会話ならできるのに、1対1+aの会話はできない。

心の底にいる恐怖の虫が俺の口を紡ぐのだ。「お前にその権利はないぞ」と。

 

”雑談”ほど難しい物はない。何かについて語り合うことならいくらでもできるが、

何の脈略もない適当な会話程難しい物はないんじゃないだろうか。どうだ。

 

一度”無口”であることに慣れてしまうと、以後も無口であることに慣れてしまう。

習慣を変えるには行動あるのみである。適当な会話に適当に混ざれるような人間になりたいものだ。

ぬるっと社会人

ぬるっと社会人をやっている。といっても、職場はあまり社会感がない。

 

晴れて念願のフィールドエンジニアとなった俺は(電気系の知識もないのであるが)大手企業傘下の修理工として見習い中である。

 

周囲の人間は皆工業系出身であったりして、文系の俺はやや冷や汗をかきながら作業に取り組んでいる。正直、前職もそこそこ楽しかったのだが、やはり人と必要以上に接することがなく、ただ淡々と作業をこなすのは向いているのかもしれない。

 

ただ、いかんせん、俺は非力なので重労働ができない。まるでもやしである。というよりこれは身体的特徴からして仕方の無い事なのだが…。何とかやっていくしかなかろう。将来を考えるとやや心配になったりするのだが、大卒ゆえに賃金は良い。能がなくても入社できたことに感謝しながら、俺は期待にこたえなければならない。

 

暗黙の了解や、人の顔色をみて心を読むことが苦手な俺はやや特殊なコミュニケーションをとる上司たちに怯えながら生存している。生きていかねばならない。

憂鬱

仕事が決まったものの、いろいろあって全然気が晴れなかった。何をしていても空虚感が押し寄せ、「俺は何物にもなれないのだ」という強い感情だけが胸を占めていた。恐ろしい事である。

 

恐ろしい事に恐れている日々は本当に恐ろしい。何が恐ろしいって本当に恐ろしいのだ。恐ろしすぎて何もかもが恐ろしくなる。他人の声がすべて自分の悪口に聞こえる。笑い声もすべて自分の悪口に聞こえ、ツイッターのつぶやきがすべて自分に関係していると思うようになる。そして一人になると、何の意味もなく一生を終えるのではないか?という不安が押し寄せてくる。仕事が決まっても、それは変わらなかった。恐ろしかった。

 

心理的に追い詰められすぎたのか、考えすぎたのか、何もないときは永遠に眠っていた。やりたいことはあふれているのに、体がもたなかった。禁煙していたのにたばこも二箱開けた。禁煙失敗である。

 

飯を食っても食った気がしなくて大量に食事をした。胃液が逆流してきて吐きそうになったこともあった。かと思えば全く何も食えない日もあった。そしてまた、眠った。

 

流石にやばいと思って心療内科に行った。コンサータを処方されていたので日々通い詰めてはいたのだが、今回は滝のように言葉を紡いだ。

 

「何もする気が起きない」「自殺しようと決心している」「本当に死んでしまいそうで、怖い」「人に馬鹿にされているような気がする」「何もできない」

 

精神科といえば人の話を聞かずに適当に薬を処方するところも多いと聞く。だが、自分の通院している病院は忙しいだろうに、患者のきちんと話を聞いてくれる。地元に残ったのはこの医師がいるのもでかい。

 

この善良な医師から良心的で客観的なアドバイスをもらい、今までとは違う薬を二錠渡された。気分を落ち着かせ、安定させる薬とのことだった。詳しいことは調べるのも何だったので、聞かなかった。

 

 

通常、こういった薬は2~3週間で効果が出るはずなのだが、服用後なぜだかすぐに気分がよくなった。プラシーボか?あと大学時代からの数少ない友人(彼らも同様の気質をもつのだが)がいるのだが、彼らの支えも強かった。友人は大事にするべきだと思った。

 

薬を服用しはじめ、精神状態も復活してきた。今後ともうまく耐えていきたい。

 

※余談ですが、昨日今日と私の敬愛する平沢進の生誕祭でございます。学年を考えてご両親が出生届を1日遅れで出したとかなんだとかで本当は4月1日生まれなのに本籍上4月2日生まれとなっているらしく、それを知るファンの間では生誕1日目、生誕2日目と二日間祝うことが定例となっています。ファンによっては手作りケーキを作ったり花を買ってきて飾ったり、イラストを描いたり、エイプリルフールにちなんでネタを投稿したり、ファン層の幅広さも伺えます。小学4年生から音楽活動を続けて御年65歳。今年は平沢進がメジャーデビューを果たしたP-MODEL活動開始から40周年という事で節目の年でもあるそうです。自分も65歳まで強くいきたいもんだな、と思います。

祝・就職

仕事決まりマシマシた

 

地味に続けていた就職活動が功をなしてとりあえず仕事が見つかりました。

選ばないとすぐ仕事って見つかるもんなのかもね、知らんけど…

 

当方地方住なのでできれば別の土地に行きたい気持ちがあったんですが、

体調や生活への変化への対応ができるかどうかといった点を重視して

とりあえず住み慣れた地域で”仕事に慣れる”ことを重視して過ごすことにしました。

 

いや、東京とか行きたいけどね、しゃーない、うつ病適応障害発達君が

いきなり大都会に行って混乱しないわけがないなと思ったりした。

地方ゆえの人間関係の密と逆にいえば信用性もあるかなと思ったりする。

いやこれは言い訳ですが、、、。

 

中島義道も「とりあえずなんとかやっていけそうな仕事を見つけろ」的なことを言っていたので、とりあえず仕事をやってみて、駄目ならまた状況に応じて変化していこ~っていう感じです。

働きたくねぇけど、、、。

顎がめっちゃ痛い

顎が痛い。

 

なぜなら虫歯を放置しているからである。虫歯、それは人類にとっての永遠の敵である。

 

違うか?

 

幼少期から以上に虫歯が多かった。その上、歯を磨くのがへたくそだった。

「歯の磨き方は、こう!」と三回は講習を受けたはずなのだが、どうもうまくできず

いつもいつも怒られては怒られ、そして怒られるといった次第だった。

 

中学、高校の部活動でも通院のためにしばしば部活を早退していた。

部活動に熱心な人間だった。熱心すぎたので「病」というのは自己管理がなっていない雑魚が羅漢するものであり、やんごとならない場合においても部活をさぼって医者に行くこと=雑魚というイメージを強く持っていた。今思えば異常である。

 

高校では吹奏楽部に所属し、管楽器を担当することになったのでかみ合わせの問題や、虫歯の問題が顕著になった。

いや実は顕著じゃなかったのかもしれないが、つらかった。だから歯医者によく通った。どうしても部活を休めない日に医者をさぼったら医者には怒られ、医者に行かざるを得ない状況では部活動でなんとなく申し訳なさを感じる日々を送った。

 

ちなみにその結果として、同級生同士で送りあっていた誕生日プレゼントとしてデンタルフロスをプレゼントされる結果になったりした。惨憺たる様である。

 

そんな生活を続けていたわけだが、大学進学後はほとんど医者の世話にならなかった。

というか放置していた。そもそも趣味にかまけていたので医療に金をかける暇もなかった。

 

そんな感じだったので、これは2年ほど前になるのだが、メントスを食っていたら突然歯が欠けるという事態が発生した。焦って歯医者に駆け込むことになった。医者はすべてを察した表情で迅速かつ的確に治療をこなしてくれた。その上今までさんざん時間をかけてきた虫歯の治療が思いのほか数回で終わった。地元の医者はヤブだったのか?

 

その際に、虫歯が多すぎると指摘をされ、さらに「歯が柔らかい、虫歯になりやすい歯だ」と医者に言われた。

 

思い返すと、昔から炭酸飲料を大変好んで飲む人間だった。低血糖気味なので手軽に糖が摂取でき、なおかつ満腹感を得られるサイダーの類を好んでいる。最近でもコーラやカフェイン飲料などは手放せない。もちろん糖分込みの奴だ。

 

そして低血糖対策として飴もよく食う。飴は便利だ。簡単に糖分を摂取することができるし、何らかのイベントで同席した人間たちに適当に配っておくと良い人間っぽく扱われたりするし、外交手段としても使える。便利だ。

 

虫歯の発生のメカニズムについて詳しい知識は全くないのだが、まあ「糖分がやばい」というのは過去の知識の断片をつなぎ合わせると、なんとなく想像が付く。こういう認識の甘いところがまずいかんのだと思うが、常に糖分を帯びた口内で虫歯菌が跋扈しないなんてことはまずないだろう。だが炭酸や糖分の摂取はやめられない。低血糖というのも大いに関係するが、何よりも美味いからだ。

 

美味いものは良い、美味いものを食うと刹那的ではあるが幸福感を得ることができる。

人間美味いものを食ったほうがいいのだ、たぶん。

 

何の話だ?

 

※就職活動は順調

映画

仕事を辞める前、仕事を辞めたら速攻で本を読み漁ろうと決意した。

というか、何か知見を増やしておくべきだろうと思った。

「今までできなかったことをすべて網羅してやるぞ」という強い気持ちがあった。

無職のうちに映画でも本でもとりあえず見ておこうと思っていた。

 

だからニート入り口の時は映画なりなんなりを視聴しまくっていた。

 

なんとなく知見も広がるし、良いかも、と思っていたのだが、

やはり「娯楽」を楽しんでいるという罪悪感から最近見るのを辞めていた。

 

突然だが、物語と言えば、古代ギリシャにおいて、

ギリシャ悲劇は人間の行為と生のミメーシス(模写)であり、

人間は悲劇を鑑賞することで”生きること”に対する新しい学びを得る、

すなわち生きる意味の学習につながる的なことをアリストテレスが言っていたようだ。

 

ということは即ち、

『映画を見ること=人間社会を知ること=社会に適合する為の正しい学習手段』

という方式になるはずである。つまり映画はただの娯楽ではない。

人間社会を知るための重要なコンテンツなのである。

 

まるで異星人の様な事を言っているが、

まるで異星人のように生活しているので仕方がない。

 

実際、人間社会というのは模倣の繰り返しだと思っている。

”普通であること”が求められる社会において”普通”であるためには

やはり”普通”である基準が必要である。”普通の基準”だ。

 

かの山本五十六も「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、

ほめてやらねば人は動かじ」と言っている。つまり最初に必要なのは模範なのだ。

 

ということでニートの最中に社会復帰のため、映画を見ることは娯楽ではなく

立派な学習、就職活動という事になる。明日は何か見ようかな。