当方、社会不適合につき

アスペ系社会不適合者奮闘記 25歳現在

汚部屋

あれが無いこれが無い...日常茶飯事である。「これがあると便利そう」意味の分からない道具が部屋を埋め尽くしている。日常茶飯事で在る。

 

思い付きの発想、独自の視点、機転で新しい事、目新しいものに好奇心でぶつかっていくのはもしかしたら良いことなのかもしれない。だが、良いことだけではない。部屋を埋め尽くす書籍や雑貨、よくわからない思い出の品々に囲まれて今日も「あれが無い、これがない」と迷い、人生の路頭にも迷っている。

 

齢25にして何よりも苦手なことが「整理整頓」だなという事が最近分かってきた。いや、中学のころに毎月書かせられた今月の目標にも「整理整頓と早寝早起き」と常に掲げてきたはずだったのだが、未だにどちらもまともに出来ない。

 

本や漫画、資料やCD、大学時代のノート、工具に配線材が満ち溢れている。部屋は異常に乱雑だがほとんどゴミはほとんど落ちていない。勿論他人からどう見えるかは別として。

 

棚を埋め尽くす漫画や雑誌、憧れのバンドのCD、名前だけでなんとなく買ったCD...お金のなかった学生時代、何もかもが貴重に思えて手放したくなかった。周囲の人間は著作権を気にせずyoutubeなんかで音楽を聴いていたが、自分にはなんとなくできなかった。当時は音楽配信サービスなんかもほとんどなかったし、そもそも契約できなかった。なけなしの小遣いをはたいてかき集めた金銀財宝だ。ただの中古漫画や中古CDといっても、何も持っていない自分にとっては宝物だった。

 

それらはただのモノそのものではなく、何もない自分のアイデンティティを形作るためのものであったのかもしれない。自分がわからないから自分の好きなこと、興味のあることを具現化するために漫画やCDで自分を埋め尽くそうとしたのかもしれない。「私はこのCDを持っている、だから私はこのバンドが好きと言ってもいいだろう」参考書を買ってその学問を制した気になる、それと同じだ。

 

大学の授業で使ったノートなんかは後で見返すとなかなかおもしろかったりもする。だがしかし、部屋もまともに片づけられない私がノートを整頓しているわけもなく、全てがバラバラ、何がどこに言っているかもわから無いままノートはゴミの山に埋もれているのだ。どうしようもないことこの上ないだろう。

 

そもそも何故片付けが出来ないのか。自分だけが使用するものなのに、すぐ元の場所に戻す必要があるのだろうか?と考えてしまい部屋が乱雑になる。どうせすぐ使うだろうと思ってしまうのだ。ところがどっこい、次に使う自分自身がその存在を見失ってしまう。

 

ということはもう一人、誰かと共同生活を送っている感覚でも持ってみれば、もっとうまく部屋も片付いたりするのだろうか?綺麗な精神は綺麗な部屋から生まれるという。この乱雑で粗雑な部屋を綺麗にするには一体何日そしてどんな収納が必要なのか全くつかめないが、常に「他の人も使うかもしれない」という感覚を胸に刻んで生きていった方が良いのかもしれない。